膀胱を覗いたらキューブリックと出会った話


僕は血尿持ちだ。

排泄する尿に血が混じる、というアレである。高校3年生のときの尿検査で初めて血尿だと診断された。正常値が(-)であるところ、異常値である(+)を通り越していきなり(3+)を叩き出した。柔道部には所属していたものの、それまで兆候は無かったので突然の出来事にビックリしたのを覚えている。

すぐさま再検査を行ったが、同様に異常値が出たので保健室に相談に行く。ぱっと見では異常が分からないとのことで、知り合いの医者を紹介してもらった。何度か通ってエコー検査(男の先生がヌルヌルしたゼリーのようなものを下腹部に優しくすり込んでくれる)まで実施したものの、いまいち原因が分からないとのことで次第に足が遠のいてしまった。

そして3年の月日が流れる。

大学生になったところで、半年に一回の健康診断では相も変わらず血尿と判断される。ほかに身体に不具合は無いし、ただ血が出るという体質であると決め込んで精密な検査を行おうとはしなかった。しかし、大学4年への進級を間近に、「身体検査で異常が出た学生は、しっかりと医者の検査を受けないと体育の単位を申請できない」という大学の心温まる配慮が立ちはだかった。普段はキャンパスを24時間開けっ放しで不健全極まるのに、こんなときだけ常識人ぶっている。許せない。とはいえ、体育で留年なんてまっぴらなので、夏休みを利用して病院に向かうことにした。


最初に受信した内科では採血とエコー検査、そして一日に出る尿を全部貯めて量と成分を測る「蓄尿検査」を行った。僕は合計で1600ml出たので、愛飲している健康ミネラル麦茶の2L容器が埋まりかけた。それでもやはり精密検査が必要だということで、同じ病院の泌尿器科に回されることになった。

泌尿器科なんて初めて行く。廊下の壁に貼られた、尿結石を粉砕する超音波装置のチラシが物々しすぎ笑いそうになったが、周囲にいる患者さんたちも各々シモに問題を抱えているのかと思って神妙な気持ちになった。

先生の決断は早かった。「MRIと膀胱鏡検査をしましょう」とのこと。MRIってあれか、あのトンネルみたいな未来っぽいヤツ。大掛かりな検査に興奮しかけたが、はてもう一つの膀胱鏡検査が気になるぞ。


手渡された紙に目を通す。「この検査は、尿道に内視鏡を挿入し、膀胱、尿道の状態を観察するものです。女性の場合はほとんど痛みはありませんが、男性の場合は尿道の構造から、多少の痛みを伴うので、尿道内にゼリー状の麻酔剤を注入し、尿道表面を麻酔して行います。」

……大変なことになってしまった。ソワソワが止まらない。無理が通れば道理が引っ込むと言うが、それは尿道の話ではない。引っ込むのはこちらの息子だ。通るハズが無い。やめてくれ。やめて下さい。どうにかなりませんか先生。助けて。あの、先生?

そして、検査は翌週行われることになった。


尿道に管を通す。男子諸君ならこの響きの持つ破壊力は想像に難くないだろう。街ゆく人々に揉まれながら、下半身に危機の迫っていない全ての一般男性を恨めしく思う。お腹の下がキュンとする感覚と付き合いながら、一週間はあっという間に過ぎていった。

検査当日。まずはMRI検査を受けるために病院の最深部である地下3階へ。普段目にすることの無いバイオハザードみたいなマークにテンションが上がる。ただ、強い非日常感は自分の身体への不安感もつのらせてしまう。そんなことを配慮した結果だろうか、更衣室の鍵にぶら下げられたマイメロちゃんは、どこかおどけた表情をしていた。


「膀胱に尿が溜まりきっていない」というトラブルで順番が前後し、係の女性の方と恥ずかしいひと時を過ごしたものの、他には特に問題なく検査が終わる。検査中は大きな音がするので耳当てを着用させられるのだが、部屋の片隅から終始原住民っぽいリズムが聞こえていたのが気になった。

さて、いよいよである。再びひっそりした泌尿器科受付に向かう。カーテンで仕切られた区画に通されると、まずは着替えを命じられた。下半身すっぽんぽんになったのち、検査用トランクスなるものだけを着用する。このトランクス、焼き肉屋で使う紙エプロンのような質感でスカスカした履き心地なのだが、前方の股間部分がバックリと開かれており、そこから息子がHello World状態になっているというシロモノだった。


続いて座らされた検査用のイスも特殊な仕様である。上の写真の状態から更に両足が左右に開かれ、最後はお尻がもう一段階下がって準備完了。この体勢を再現してみれば分かると思うが、コレがめちゃくちゃ恥ずかしい。自分の最大の弱点をさらけ出している上、これから何をされても抵抗できないという事実を実感させられ、ひどく羞恥心を抉られる思いだった。


いよいよ処置が始まる。ボロンと宙に浮いた僕の先端に、看護婦さんがゲル状の麻酔を塗り込んだ。冷たくてトロッとした感覚そのものが、細い線になって僕の内側に下ってくる。こんな感覚は初めてで、正直ちょっとだけ気持ち良かった。仕事を終えた看護婦さんが外に出てからは、効果が出るまでのおよそ10分を一人で過ごすことになる。現実を直視するな、想像力を働かせたら自分を追い込むことになる。ひたすら自分にそう言い聞かせ、頭の中ではインディ・ジョーンズのテーマを繰り返し再生していた。彼の冒険こそが、「狭いところを無理やり進む」なかで最も明るいイメージだったからだ。

しばらくして、男の先生が入ってきて準備を始めた。よほどの表情をしていたのだろう、看護婦さんが「緊張していますか?」と僕を気遣い、息をハーと吐くと緊張がほぐれるのだと教えてくれた。ハー。ハー。ハーーー。これから起こることは、ただ受け入れるほかにないんだ。覚悟を決め、何も見ないようにしていた僕の視界に、先生の持つ黒いうどんのようなチューブが見え隠れする。僕は何も見ていない。


「まぁ、痛くなくはないです」という先生の不吉な二重否定と共に、膀胱鏡が僕の尿道に挿入される。




………。





………。





………………。




!!!!!


 痛い痛い痛い!


麻酔の効果がどれ程かは知らないが、今感じるこの痛みは「太いチューブを尿道に通したらこれくらい痛いだろうな♥」と想像した時の痛みそのものじゃないか!おしっこを出す時の感触に近いが、その接触部分すべてが鋭い痛みをもたらしているような感覚。それでもチューブの進行は止まらない。先生のクニクニした手つきが目に入る。思考がありえない速度で加速しているのが分かる。息をフーと吐く。痛みが一瞬和らぐ。フーと吐く。フーと吐く。痛い!フーと吐く。そして、痛さのピークを迎えたとき、「一番痛いところを越えました」、との言葉が聞こえた。

痛みはまだ消えないが、先ほどまでの刺すような辛さはない。フーと吐く息は、いわゆる「ヒッ、ヒッ、フー」の「フー」の部分なのか、と思えるくらいの余裕は生まれた。先生はチューブを操作しながら時折写真を撮っていく。生理食塩水を注入された下腹部に違和感があったが、耐えられないほどではない。しばらくして、僕も先生と一緒にカメラの映像を見ることになった。


…………なんて綺麗なんだ。冗談抜きでそう思った。ピンク色でツヤのある肉の壁に囲まれた空間からは、不思議な静寂が感じられて、少しばかりウットリしてしまった。その光景に心惹かれ、画面をまじまじと見続けていた。膀胱の全体を見て回ったが、検査で問題視されていた部分にも目立った外傷は確認できないという。

一通りの検査を終え、チューブを抜くことになった。ディスプレイの向きを戻すのが手間だったのだろうか、入れるときと違って今度は僕も画面を見ることが出来た。抜くときの痛みはそれほど強く感じない。僕の目は画面に釘づけになったまま、スルスルと外に向かってチューブが抜かれていく。


そのときの光景が、強烈にデジャブした。映画「2001年宇宙の旅」ラスト間近、主人公ボーマンが夥しい数の星の群れ「スターゲイト」の中を通り抜けるシーン。ピンク色の輝き。光の洪水の中心にひときわ明るく輝く何か。色の数もエフェクトも違う。でも、その壮大さと神秘性は変わらない。宇宙と脳神経細胞の構造は似ているという。尿道とスターゲイトとが似ていてもいいだろう。むしろ、監督であるキューブリックはここから着想を得たんじゃないかと思えるくらい、両者のイメージは僕の中で完璧に一致した。人体と宇宙は繋がっている。不思議な納得感が訪れた。

チューブが外に出て、元通りの生活が始まった。やっぱり少しヒリヒリする。でも、しばらくはあの痛みと付き合わなくても良いのだ。十分に耐えきったじゃないかと誇らしい気持ちになる。事後説明や会計処理を済ませたのち、病院の外に出るとむしょうに肉が食べたくなった。男らしさの回復を本能が求めていたのだと理解している。道路を挟んだ大戸屋に入り、いつもよりおかずを一品多く頼んで僕の夏休みは終わった。

コメント