半年前の自分に学ぶ

今朝はちょっと寝坊した。すみません。
時々バッキバキに眠りにつけないことがあるのです。。

気付けば半年が終わってしまったらしい。早い。
年末~正月にガッツリ休みをもらったとき、こんなことを考えていた。
自分の生活のモチベーションを探り、暮らしをドライブさせる方法らしい。


A. お金を稼ぐ

については、明確な目標を立てて貯金を始めている。
いちおう毎日出納帳をつけているが、イマイチ厳格さに欠ける。
それでも口座残高とクレカの請求額におののく日々に比べればだいぶ改善した。
貯金の大変さが分かり、100万円がかかったドキュメンタルの重さも理解できた。

B. 自分の興味

を広げるため、毎日ひとつの非日常を取り入れる活動をしていた。
が、移動が大きく制約されたあたりで中断されている。

これまでの項目を振り返ってみても、
・「個人経営の本屋に行く(012)」
・「喫茶ランドリーに行く(018)」
・「10年ぶりのスキーに行く(054)」
・「兄嫁の職場に行く(073)」
など、目的地を設定して外出するケースが多い。
どこかに「行く」ことは、おもに休日の非日常を構成する大きな要素になっている。

また、往復2時間程度の通勤中にも非日常を潜ませていたようだ。
・「ポケットに手を突っ込まない(009)」
・「グリーン車に乗る(014)」
・「始発で出勤する(015)」
・「横断歩道の白い部分だけ踏む(043)」
・「階段と平行に歩く(051)」
などは、家と駅を結ぶ歩道・通勤電車の中・オフィスとコンビニをつなぐ階段といった、
家から出て職場に行き帰宅するまでに起きた出来事だ。

どこかに「行く」こと、1日2時間程度「移動する」ことが封じられると、
家の中や近所でネタを探さなくてはならない。
リモートワークになったことで規則正しくなり、
なんなら少し健康になった気もするのだけれど、
この先何ヶ月も「日常化した非日常」が続くと思うとげんなりしてしまう。

……という下書きがnoteに眠っていた。
実際その通りだと思うし、そもそも暮らすことが精いっぱいなのだから、
無理して非日常をひねり出さなくても良いだろうと思ったのだ(言い訳)。

でもね、最近は読書やWeb徘徊、料理などの量が増えて、
自然と新しいことを取り入れ始めているんですよ。
半年経ったこともあるので、しれっと再開しても良いと考えている。


C. 他者からの要請

勤務先で大きなタスクが終わった後、やること・求められていることが分からな過ぎて、
自分がそこにいる理由が謎過ぎて、悲しみと怒りに駆られた日があった。
本当にひどい気分だったので気持ちが落ち着くまで街をブラブラして、
たまたま見つけた焼き鳥屋さんでホッピーをキメたら落ち着いたのを覚えている。

今はだいぶ改善していて、明日起きてからやることも明確に理解している。
具体的な仕事があるって、なんて嬉しいことなのだろう。
かっちりした部分と裁量に任される部分があり、
前者は淡々と、後者は放置するとさぼりやすいので適宜相談すべきだと理解した。

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元旦の僕は結構いいことを書いているな。
3つの要素をそれぞれ育むと、生活における虚無の時間が減っていく。
それすなわち活力であり、空いた時間も元気に過ごそうと思える。
今日は久々に買った、SF読み物と化したWIREDを読んでエンジョイできたよ。


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